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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
イーサーン (Ihsahn、本名:ヴェガルド・スヴェレ・ツヴェイタン ()、1975年10月10日 - )は、ノルウェー出身のヘヴィメタルミュージシャン。ノルウェーのシンフォニックブラックメタルバンド、エンペラーの中心人物として著名。現在は、自身と同名のソロプロジェクトを中心に活動している。 == バイオグラフィー == ノルウェー南部の都市、ノトデンで生まれる。出生名は、ヴェガルド・スヴェレ・ツヴェイタン ()。ノルウェーの田舎にある広い牧場で育つ。7歳の時からピアノ、10歳の時からギターを弾くようになり、その後少しして、レコーディングを行うようになる。彼の興味は、ヘヴィメタル、クラシック音楽、アンビエント、テクノにあった。 13歳の時、音楽の講習で最初の音楽のパートナーであるトーマス・ハウゲン (後にサモスと名乗るようになる)と出会う。アイアン・メイデンのパッチをつけていたことがハウゲンの注意をひいたのだという〔"Line6 - Line 6 Artists "〕。1990年に、ハウゲンが中心のデスメタルバンド、Xerasiaにギタリスト兼キーボーディストとして加入。このバンドは、同年中にEmbryonicにバンド名を変更している。そして、11月に自主制作でデモテープ『The Land of the Lost Souls』をリリースした。Embryonicは1991年に、Thou Shalt Sufferにバンド名を再変更している。このバンド名の下で、いくつかのデモテープをリリースするが、ハウゲンらメンバーが脱退し、最終的にツヴェイタンのソロバンドとなった。 ハウゲンがThou Shalt Sufferから脱退した後、ハウゲンとツヴェイタンはエンペラーを結成した。ツヴェイタンは、ギタリストとして加入した。エンペラーは後に、後期のリリース作品に見られる目立った特徴として、ツヴェイタンの洗練されたキーボードスキルを見せる洗練されたブラックメタル/シンフォニックブラックメタルバンドとなった。結成当時のエンペラーは、ブラックメタルのパイオニアとして有名なユーロニモスからサポートを受けていた。いくつかのデモをリリースした後、1993年にEP『Emperor』をリリース。しかし、リリース後、ヴァルグ・ヴィーケネスの逮捕に端を発するインナーサークルのメンバーの摘発によって、当時のバンドメンバーだったハウゲン (サモス)とボールド・アイトゥン (ファウスト)、テリエ・シェイ (ツォート)が逮捕され、一時期、エンペラーにはイーサーンしかメンバーが居なくなってしまう。ハウゲンが釈放されると、2ndアルバム『Anthems to the Welkin at Dusk』を作成した。 1995年には、エンペラーとサテリコンのメンバーでプロジェクトバンド、Zyklon-Bを結成しEP『Blood Must be Shed』をリリースした。ツヴェイタンは、同プロジェクトではシンセサイザーを担当した。1998年には、ツヴェイタンは妻であるヘイディ・ツヴェイタン (Ihriel)と共に、アヴァンギャルドメタルプロジェクト、Peccatumを結成した。このプロジェクトは、エンペラーよりも、より自然の中における実験音楽の色が強く、2001年にエンペラーが解散した後も活動を継続した。Peccatumでは、ツヴェイタンのクリーン・ボーカルとブラック・ボーカルと同様に、トレードマークであるシンセサイザーも取り入れられていた。同プロジェクトは、2006年3月に解散した。 1999年にエンペラーは3rdアルバム『IX Equilibrium』をリリースする。2年後の2001年にPeccatumの2ndアルバム『Amor Fati』、エンペラーの4thアルバム『Prometheus: The Discipline of Fire & Demise』をリリースした。『Prometheus: The Discipline of Fire & Demise』は、全曲をツヴェイタンが作曲し、それまでのエンペラーのアルバムよりも複雑なオーケストレーションが取り入れられた。つまり、以前よりも著しくシンセサイザーの登場する場面が減ったともいえる。この頃には、メンバー各々がバンドの解散とそれぞれのサイドプロジェクトに専念することを決めていた。 2002年12月、出身地である人口約12,500人の街、ノトデンから文化賞である"Notodden Kommunes Kulturpris"が送られた。同賞が贈られた理由は、ツヴェイタンが、ノトデンの住人の中で最も有名な住民であり、素晴らしいミュージシャン、音楽教師、アレンジャーであることであった。また、ツヴェイタンのバンドのリリースしたアルバムの売上が50万枚を超えたことも受賞の理由となった。2002年には、アークチュラスのアルバム『The Sham Mirrors』の楽曲「Radical Cut」にゲストボーカルとして参加している。 2004年には、Peccatumの3rdアルバム『Lost in Reverie』をリリース。翌年に、EP『The Moribund People』をリリースするが、これがPeccatumの最終作となった。2005年9月30日、オスロのロックフェラー・ミュージック・ホールで行われた、スクリーム誌の15周年記念ライヴで、エンペラーを再結成し、サプライズ出演した。この再結成とライヴ出演は、トップシークレットとして扱われ、一握りの人間しか知らない情報であった。このライヴで、エンペラーは3曲を演奏した。そして、エンペラーがライヴ限定で再結成され2006年のアメリカとヨーロッパでいくつかのライヴをこなすことがアナウンスされた。そのライヴは即ち、ヴァッケン・オープン・エアとであった。 2006年には、ソロプロジェクトの1stアルバム『The Adversary』をリリースした。 2007年、カートゥーンのアダルトスイムのアニメ「Metalocalypse」のエピソード『Dethfashion』において、Eric von Wiechlinghammerというキャラクターに声を吹き込んでいる。2008年には、ソロプロジェクトの2ndアルバム『angL』をリリース。同年には、Guitar World誌上で、「Left Hand Path」と題されたコラムの連載を始めた。2009年3月より、ソロとして初めてライヴを行った。これは、オーペスのノルウェーでのライヴでの1回限りの前座であった。それから、ライヴにソロで出演するようになり、ソロプロジェクトの楽曲とエンペラーのカヴァー曲を演奏した。これらのライヴの際には、ノルウェーのプログレッシヴメタルバンド、Leprousがバックバンドを務めた。 2010年1月、ソロプロジェクトの3rdアルバム『After』をリリース。同年10月、ソロプロジェクトの所属レーベル(自主レーベル)のMnemosyne Productionsのウェブサイトがアップデートされ、既に4thアルバムの楽曲作成が始まっていることと、ツヴェイタンのホームスタジオの改装に焦点があてられていることが発表された〔""〕。 2011年、ツヴェイタンはソロとして、初めてアメリカでライヴを行った。出演したのは、ジョージア州アトランタで行われた、the Progpower USA metal festivalである。それに加えて、2枚のCDにゲスト参加し、夫人と『Bilateral』のコ・プロデュースを行い、自身のソロプロジェクトの4thアルバムの楽曲作りも引き続き行うなど多忙を極めた。12月にはザ・ホーンテッドと競演するDOUBLE TITANS TOUR vol.4で初来日を果たした〔""〕。 2012年、4thアルバム『Eremita』を発表。ゲストミュージシャンにデヴィン・タウンゼンドやネヴァーモアのジェフ・ルーミスがゲスト参加している。 2013年、10月に5thアルバムDas Seelenbrechenをリリース。2度目の来日公演を行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イーサーン (ミュージシャン)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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